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「クラシックファンという幻想」について考える その2

 大阪 アーティスト インキュベーション システムを運営するスタッフの方が書かれた「クラシックファンという幻想」という記事にコメントを書いた。

 野球ファンを例にとってクラシックファンと比較するという視点に新鮮な興味を覚えてコメントをつけたものの、クラシックファンに対して感じている異質な部分をどうしても払拭できずに、元記事の主張とはいささか論点のずれた内容になってしまったようだ。
 クラシック音楽活動の最前線で活躍する筆者に対して、ろくに生演奏も聴かないような一介のえせ「クラシックファン」がコメントするのもおこがましいのだが、小異を混ぜ返すことを承知でコメントを続けたいと思う。

 筆者は、大阪で音楽家の活動を支援する組織の運営にかかわっており、活動を支えるクラシックファンの拡大に腐心している様を記事にされていた。この話題に簡単に飛びついてしまったのだが、「野球ファンとクラシックファン」という問題の中に「普通のクラシックファンと特殊なクラシックファン」という人間像の問題を意識の中に持ち込んでしまい、野球ファンとクラシックファンとを単純に比較することができなくなってしまった。その混乱のままに思うところを書いた。
 筆者もクラシックファンに違いがあることは意識されているようで、具体的な記述はないものの、「従来からのファンに応えるための活動と新しいファンを作っていくための活動は必ずしも一致しないことがあります」 と述べておられる。
 そのことを承知の上で、特定の演奏家に対するファンを増やすことがクラシック音楽ファンを増やすことになると主張されている。そのことに対して賛同こそすれ異論を唱える意味もないのだが、違和感を覚えた部分を再確認することで、ひょっとしたら「クラシックファン」が幻想にならないための手がかりが得られるかもしれないと考えコメントを続けることにする。

 頭を整理するために、野球ファンとクラシックファンの違いを独断で表にしてみた。ここでは人間像に関する項目は入れてない。クラシックのほうは、「旧来のファン」はこうであろうと推測してみた。

野 球 クラシック
興味の対象 チーム 演奏者
選手 曲・作曲家
ゲームの内容 演奏の内容
スタジアム 演奏会場
応援方法 視聴環境(再生装置)
興味の示し方 各種メディアでの観戦 各種メディアでの視聴
球場で観戦 コンサートで視聴
グッズの購入 CD・書籍の購入
技術・戦略の研究 音楽史・理論の研究
戦評 音楽批評
鑑賞(観戦)の仕方 感覚>理論

理論>感覚

結果重視 演奏重視
ながら観戦

集中視聴

 よくわからない分類で遺漏も多いが、こうしてみると野球もクラシックも変わりがない。違ってみえる部分についても、そういう傾向がある程度で、どちらにもそのようなファンは存在する。あえて違う点を挙げれるとすれば、「視聴環境」という音楽の本質とは多少かけ離れた部分へのこだわりと、本来感覚的であるはずの音楽を理論的に聴いてしまう嫌いがある点だろうか。
 そういう意味で、「特殊な人間像」がもたらすクラシックの良くないイメージさえ払拭できれば、野球と同じ手順でクラシック音楽ファンを増やすことができるという意見には諸手をあげて賛成である。

 書けば書くほどまとまりがなくなってきた。

 どうしても、クラシックファンの「人間像」を持ってこないと、「違和感」の説明にはならないようだ。今回は話が大きくずれてきそうなので、あらためて書くことにする。

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